Bチーム、「赤福本店」で、絶品を食して悶絶!(平成25年8月16日(金)のかもちゃん その7)

http://pu-u-san.at.webry.info/201309/article_49.html のつづき


「おかげ横丁」は、「おはらい町」の中程にある「赤福本店」から横に曲がった所に広がっている。
つまり、「おかげ横丁」から内宮の方に戻ろうとすると、もう一度「赤福本店」の所に戻ることになるわけ。

↓こんな位置関係なんだけれど、わかる?



なので、再び、先ほどかき氷(赤福氷)をほおばったばかりの「赤福本店」に戻ってきたのでした。

おおっ!
腹がまた空いてきているではないか!(笑)

せっかくここまで来たのだ。
赤福を食べない手はないだろう!

というわけで、赤福本店に入ったのでした。(ちなみに、かき氷を食べさせるのは、本店の向かい側にある店舗)


そもそも、「赤福」とは?
Wikiより
赤福餅(あかふくもち)は、三重県伊勢市の和菓子屋赤福の和菓子商品である。餅菓子であり、いわゆるあんころ餅の一種。

概要
正確な創業年は不明だが、江戸時代初期には皇大神宮(伊勢神宮内宮)前、五十鈴川のほとりで既に「赤福」の屋号を持つ餅屋が存在したといわれる。1707年(宝永4年)執筆、1708年(宝永5年)刊行の市中軒の浮世草子『美景蒔絵松』に、伊勢古市の女が「(恋仲になった男が)赤福とやら青福とやら云ふあたゝかな餅屋に聟に入りを見向きもしなくなってしまい、その裏切りがくやしうて泣いております」と嘆いたという話があり、これが「赤福」の屋号の初出である。そのため、現在は1707年を赤福の創業年としている。
「赤福」の名は1895年(明治28年)の『神都名勝誌』では、餡を入れた餅を大福と呼ぶ対比として、赤い餡をつけた餅であるから赤福と称したと推察している。1929年(昭和4年)の『宇治山田市史』ではこの説を採用し、その他の説はこじつけであるとしているが、赤福のホームページではまごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味の「赤心慶福」(せきしんけいふく)に由来するとしている。名前の「赤」にちなんで包装も商品名のロゴも赤いが菓子自体の色は厳密には小豆色であり赤ではない。

餅を漉し餡でくるんだもので、漉し餡には三つの筋が付き、五十鈴川の川の流れを表しているとされる。餅は傾けて持ち帰ると崩れることがあるほど非常にやわらかい。当初は、砂糖が貴重品であったために塩味の餡であった。1727年、江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗が砂糖の原料となるサトウキビの栽培を奨励し、砂糖の生産高が増えたことから、赤福も次第に黒砂糖餡を使うようになった。 1911年(明治44年)、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が神宮参拝の折、赤福餅を注文した。赤福は、甘みと灰汁の強い黒砂糖餡では、「皇后陛下のお口に合わないのではないか」と案じ、白砂糖餡の特製品を献上した結果、無事好評を博したという。この結果、一般販売にも白砂糖餡を使うようになり、現行の赤福餅が完成した。赤福では、昭憲皇太后の注文を受けた5月19日を「ほまれの日」と定め、包装紙にも「ほまれの赤福」と称するようになった。 しばらくの間は、黒砂糖餡を「赤福」、白砂糖餡を「ほまれの赤福」として販売していたが、その後後者に統一された。なお消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件発覚後、営業再開した新パッケージでは、「ほまれの」と言う文字は削除された。
「ええじゃないか」のテレビCMと「赤太郎」というキャラクターで知られ、中京・近畿圏のJR線主要駅や近鉄沿線の特急停車駅、サービスエリア、百貨店、空港売店などで、広範囲に発売されている(遠くは岡山県でも販売された)。この販売エリアは伊勢神宮の信仰が特に強い地域とほぼ等しいという説もあり興味深い。基本的に直営店と在庫を管理する営業所の近辺に限られる。
他に、全国の百貨店等で開催される物産展でも、大変な人気があると言われている。
茶店風の本店が伊勢神宮内宮前のおかげ横丁にあり、そこでは例年、夏場に「赤福氷」という、抹茶氷に赤福餅を入れたもの、冬場は赤福の餅と餡を使った「ぜんざい」が供されている。この「赤福氷」と「赤福ぜんざい」は、本店の他に、伊勢志摩地区・名古屋地区の一部の直営店でも、季節限定品として供されている。
赤福餅の箱の中には、「伊勢だより」というその日にちなんだ文章と絵の入った紙片が入っており、500種類ほどある。なお2008年2月6日の営業再開時から3月末までは「伊勢だより」に替えて、不祥事のお詫びと営業再開についての挨拶文が入れられていたが、4月1日より「伊勢だより」が再び入れられるようになった。またこの「伊勢だより」には社長名も入れられていたが、不祥事後の営業が再開されてからは社長名は入れられていない。
包装紙の上面には伊勢神宮の神殿と内宮前の宇治橋が、底側には赤福にちなんだ俳句が記されている。
保存料を使わない生菓子であり、本来の消費期限は夏期は製造年月日を含め2日間、冬期は3日間である。
2008年度は、2月6日の販売再開時から5月16日までの間と、同年10月11日から翌年2009年5月17日までが冬季用の消費期限設定に、2008年5月17日より10月10日までの間は、夏季用の消費期限が設定された。包装紙の底側の俳句は、冬季用は正岡子規の句が、夏季用は山口誓子の句が記された。また折箱や銘々箱の帯封は、冬季用が臙脂色、夏季用が水色となっている。
原材料表記も「砂糖・小豆(北海道産)・餅米(国産)」と書かれていることは共通であるが、冬季用は「糖類加工品(大豆を含む)」を使用している旨が追記されているのに対し、夏季用は表記の原材料のみの使用のため、追記は除外されている。
なお2008年5月17日より、包装紙に記載される製造年月日(「謹製」と表示)と消費期限の年月日の表示も、これまでの西暦表示から、元号表示に変更された。
上記の消費期限の設定や配達日数の関係もあり、地方配送は例年、気温の高い6~10月の間以外のみ対応している。
なお2008年度は10月8日より、伊勢志摩地区の直営店(本店・内宮前支店・五十鈴川店・二見支店・鳥羽支店・伊勢市駅売店・宇治山田駅売店)と宅配係の直通電話にて、10月11日発送(12日到着)分以降の受付が行われた。また2009年3月6日からは、赤福のホームページでの宅配の受付(3月7日発送(3月8日到着)分より)も行われた。ただし発送ができるのは、12個入りの中折箱のみであった。そして2008年度の宅配の受付は、2009年5月15日(5月16日発送(5月17日到着)分)まで行われた。
そんな中、創業300年となった2007年に、冷凍保存していた製品を、解凍日を製造年月日として出荷していたこと、さらに売れ残り商品の再利用をしていたことが明るみに出た。三重県が10月19日より「赤福」を無期限の営業禁止処分としたことで(2008年1月30日に解除)、経営問題に発展した。




お店に入ってみると・・・

すごいっ!
釜でお茶を焙じているぞ!見ているとすごく暑そう!お客さんは冷房が効いているところにいるから良いんだけれど。

客席は座敷になっていて、みんなが思い思いに座っている。
ちょうど、縁側みたいになっているところが空いている。

さあ、来たぞ。
画像


ああっ!
やっぱり、うまいっ!!!!!


この、あんが、たまらなく、すばらしい!!!

夢中でたちまちたいらげた。
ついさっき、かき氷を食べたばかりなのに(笑)。

ごちそうさまでした。

帰りは庭の方をとおって、裏手の方から。
ちょうどここから、五十鈴川が見える。
ほとんど水が流れていないのだけれど、それでも、水遊びをしている人たちが結構いるね。

さあ。
これで伊勢は終わった。
いよいよ、大阪に向かうぞ!

というわけで、バスに乗って伊勢市駅に戻ってきました。

さてさて。

大阪に行くには特急だな。

ところが。


つづく

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