Bチーム、外宮で蛇に出会う!(平成25年8月16日(金)のかもちゃん その2)

http://pu-u-san.at.webry.info/201309/article_33.html のつづき

さあ、いよいよ、珍道中の最大のイベントであるお伊勢参りだ!


伊勢神宮とは
Wikiより

所在地
内宮(皇大神宮):
 三重県伊勢市宇治館町1
外宮(豊受大神宮):
 三重県伊勢市豊川町279

伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。
二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社の一社。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の1つとされた。明治時代から戦前までの近代社格制度においては社格の対象外とされた。

概要
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する(後述)。
皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、当宮は皇室・朝廷の権威との結びつきが強い。

祭神[編集]
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう) 天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる
豊受大神宮:外宮(げくう) 豊受大御神 (とようけのおおみかみ)

歴史
起源
天孫・邇邇芸命が降臨し、天照大御神は三種の神器を授けられ、その一つ八咫鏡に、「吾が児、此の 宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀)」として、天照大御神のご神霊がこめられる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇のお側に置かれ、天皇自らが観察されていた。八咫鏡は、第10代崇神天皇の御代に、大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫に祀らせた。
『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳』(とゆけじんぐうぎしきちょう)[11]によれば、雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源と伝える。

古代
皇室の氏神として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)[8]。天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。

中世
朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された[12]。神仏習合の教説において神道側の最高神とされる。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた。戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮(後述)が行えない時代もあった。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講を組織させる御師が台頭した。

近世
お蔭参り(お伊勢参り)が流行した。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した。

近代
明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝した。この長期の空白の理由については諸説がとなえられているが、決定的なものはない。大日本帝国政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗とされた。内宮前に「神宮司庁」がある。
佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣と農林水産大臣が、(正月三が日の混雑を防ぐため)主に1月4日の仕事始めに参拝するのが慣例である。

式年遷宮
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた[8]。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成5年(1993年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年間行われている[8]。平成17年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、同25年(2013年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。



まずは、外宮(げくう)を目指します。参拝の順番としては、まず外宮そして内宮というのが正しいそうで。
外宮は、伊勢市駅前の道をまっすぐ歩くと10分ほどで着きます。

途中、おみやげ屋が両脇に広がっていて、時間があればぶらぶら立ち寄ったら楽しそうなのだけれど、だんだん暑くなりそうなので、今日はあまりムダな動きはしないようにしよう。

というわけで、すたすたと外宮の入り口に到着。

鳥居をくぐり、うっそうとした林の中にある参道を進みます。

しばらく行くと、本殿の入り口に到着。ここから先は、撮影禁止!
これは外宮のHPより
画像


ぶぶ子と一緒に丁寧に参拝。
ぶぶ子は何をお願いしたのだろう?
かもちゃんは、もちろん、家族の健康をお祈りしたほか、息子さん(ぶぶ太郎)の大学受験がうまく行きますように!ともお祈りしたのでした。

一般の参拝客からは、門があるために正殿は見えません。
正殿で参拝できるのは、天皇陛下だけとのこと。

正殿の左隣に塀があって、その塀からわずかに新しい正殿や鳥居が見えます。
もう少し立つと、こちらへの遷宮が行われるのですね。
当たり前だけれど、ぴかぴかの真新しい木。それが20年たつと、こういう感じにかやぶき屋根にこけがびっしり生えるんだ・・・・
これは、面白いよね。

さて、正殿を参拝した後は、「別宮」というところに参拝。
多賀宮、土宮、風宮という3つの別宮があります。

それぞれかなりの行列なのだけれど、並んで参拝。

木に人が集まっているので、何だろう?と思って近寄ってみたら、木の枝に蛇がまとわりついていたのでした。。
画像

蛇?と聞くと、ちょっと気持ち悪いけれど、でも、昔から蛇は神様の使いとも言われます。
きっと、これは、縁起がよいのだよ。

正殿の所に戻ってくると、人がたくさん集まっている。
何?
石がいくつかおいてあって、それを注連縄で囲っているのだけれど、それをみんなが写真に撮っているのです。これはたぶん、何か有名なパワースポットで、それをケータイの待ち受けにする、というやつではないかしら。

それから、ガイドブックを見ると、このあたりに「亀石」というのがあることになっているんだけれど、どのことだろう?
と思って探してみたら、どうやら、みんなが渡っている橋みたいな石が亀の形をまあ確かにしていると言えばしているのでした。


さあ、外宮はこんなものかな。次は、内宮だ!

いや、待てその前に。


つづく

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