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日本海側は大変な大雪になっているとのこと。 心よりお見舞い申し上げます。 雪国の人間でないと、あのつらさは分からないと思う。 あの重さ。 あの固さ。 へたをすると、雪かき作業の事故で、命を落とすこともあるわけです。 まさに災害そのものなのだが、非雪国の人たちは、本当に分かってもらっているのだろうか。 ところで、自衛隊への活動要請はしているのだろうか? 【国会】 いよいよ、衆議院本会議で代表質問が始まったのでした。 本会議は一方通行方式。なので、「答弁漏れ」がないようにすることが何より大事。というか、「答弁漏れ」との指摘を受けることがないようにすることが大事。そのため、質問項目を引用しながら答えるわけです。それをちゃんとやらないと怒られるのだが。 【銀だこ】 築地銀だこは、よく利用するのです。 つい最近も行ったし。http://pu-u-san.at.webry.info/201201/article_38.html 前にもたびたび。お嬢さん(ぶぶ子)が大好きなのだ。かもちゃんもそうだが。 http://pu-u-san.at.webry.info/201112/article_5.html http://pu-u-san.at.webry.info/201111/article_48.html http://pu-u-san.at.webry.info/200902/article_55.html そこの社長さんは、ただ者ではないようなのです。なるほど、あれは北京ダックの製法を真似たものなのか。 毎日 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120126dde012040008000c.html 特集ワイド:宮城・石巻を「あつあつ」にした、苦労人たこ社長 本社移転、100人採用「横丁」 夢見る「養殖も加工も」 ◇ほおばる笑顔、「雇用を提供して」…腹は決まった 肌寒いこの季節、つい食べたくなるのが、あつあつのたこ焼き。なかでも「外はカリッと、中はトロッ」の食感で知られるのが、大手商業施設や駅前などで全国展開する「築地銀だこ」だ。運営会社の社長が昨年、宮城県石巻市に飲食店が並ぶ横丁を作り、さらに本社を群馬県桐生市から移転させた。これはただごとじゃない。この「たこ社長」、一体どんな人物なのか。石巻に向かった。【江畑佳明】 ぷーんと漂うソースの芳しい香りが食欲をそそる。ふう、ふう、と熱さを冷ます息づかいも聞こえてくる。今、口に入れたと思ったら、すぐにもうひとつ−−。 仙台から高速バスで約1時間半揺られてたどり着いた「ホット横丁石巻」。横丁内のテーブルには、たこ焼きをほおばる親子連れ客の姿があった。横丁には、「銀だこ」はもちろん、ラーメンや焼き鳥、弁当、ホットドッグにカラオケ店など、10店舗が並ぶ。昨年7月末にオープンした商業施設だ。カラオケ用のちょっとしたステージもある。 その隣にある2階建ての白いビルの中にあるのが、新たに移転した本社だった。「ここは津波で流されたがれきが集まった場所だったんです」。そう出迎えてくれたのは、「築地銀だこ」を運営する「ホットランド」の社長で、「ホット横丁石巻」を手がけた佐瀬守男さん(49)だ。現在、石巻に1人で暮らし、住まいは海近くの空き地に持ち込んだトレーラーハウスだという。「まだ地震が起きているから、実は結構怖いんですよ」と首をすくめた。 「築地銀だこ」の1号店を世に出してわずか15年で、店舗は350を超えた。業界最大手にまで成長した順風満帆の会社が、なぜ今、石巻なのだろうか。 「きっかけは、石巻出身の社員のお父さんが、津波で亡くなったことです」 佐瀬さんは桐生市の出身。震災前から、東北や石巻市にも出店こそしているが、個人的には石巻とは縁があるわけではなかった。だが被災した社員から「避難所では温かい食べ物がほとんどない」との情報が寄せられ、「何かをしなければ」という思いに駆られた。昨年4月5日、避難所になっていた石巻市内の中学校へ、たこ焼きを作れるトレーラーを持ち込んだ。「銀だこが来た!」との大拍手に驚かされ、あっという間に「完売」した。その後も被災地への炊き出しを重ねた。 約10年前から児童養護施設や老人施設を訪ね、たこ焼きの出前ボランティアを全国で続けていた。そのノウハウはあったが、これほど大きな災害はもちろん初めて。被災者がたこ焼きをほおばる笑顔を見て、ひと仕事やり遂げた充実感はあった。しかし、一時的なボランティアだけでいいのか。市や商工会関係者と面会して彼らが異口同音に訴えたのが、「雇用を提供してほしい」だった。人口約16万人のうち、震災による死者・行方不明者は3800人にも達した。生き残った住民も市外への流出が始まっていた。佐瀬さんの腹は決まった。 ■ 紙コップのコーヒーを口に含み、時折ふうっとたばこをふかす佐瀬さん。少しシャイなのか、とつとつと言葉を紡ぐ。 「ゼロからのスタートでした」。今や業界最大手の社長だが、25歳のとき、鉄工所を営んでいた親元を勘当同然で飛び出し、焼きそば店を開店。当初は1日の売り上げが700円で、新聞配達でどん底をしのいだことも。その後事業を拡大しメニューを増やしたが、客の目の前で焼くパフォーマンス性の高いたこ焼きに注目。テレビ番組で見た北京ダックの製法を参考に、高温の油をかけて外をカリッとさせる独特の食感に成功した。タコも軟らかさにこだわり、本場の関西とは異なる「江戸前たこ焼き」を作り上げた。 「ゼロから」は初めてではない佐瀬さんだが、横丁オープンには苦労した。地元の約100人を新規採用したものの、ほとんどが飲食業未経験。新本社ビルに寝床とシャワー室を設け、合宿生活で調理の特訓をした。避難所から通うスタッフもおり、鉄板で手にやけどを負いながら、何とかオープンにこぎつけた。 ところが、トレーラー型店舗の暑さは予想以上に厳しかった。自らたこ焼きを焼いていた佐瀬さんが疲労で倒れた。「暑さと慣れない仕事の精神的疲れが重なり、毎日誰かが倒れていました」 従業員の中には、父や母を津波で亡くしたり、経営していた料理店を丸ごと流されたりした人もいた。「横丁を早く軌道に乗せ、彼らに安心感を与えなければ」と決意。12月には「ホットランド」の登記を石巻に移し、人材育成や商品開発部門、さらに研修機能も置いた。 被災地の応援をする企業は多いが、本社移転はあまり耳にしない。被災地へ出店しても、収益が上がらなければ撤退するのが常だ。しかし、本社移転は多少の損失が出ても簡単には引き揚げられない。ここにも佐瀬さんが考える「地元への安心感を」との思いがあった。 それでは地元の受け止めはどうか。大企業の進出により、地場産業が圧迫される危惧はないのだろうか。 石巻商工会議所の尾形輝雄事務局長はこう言う。「本当にありがたい話ですよ。100人の雇用は大きな数字。若い人がいなくなれば、街の活力は失われますから。震災で地元産業が大打撃を受けた今、大手企業の力は必要です」と歓迎していた。 「企業の社会的責任」という言葉を耳にするようになってから久しいが、佐瀬さんがこだわる理由をたずねた。 「私たちは、たこ焼きを売ることが目的ではないんです」と言い切る。「これまでボランティアで炊き出しを行ってきました。大切なことは、たこ焼きを通じて、みんなが笑顔になったり、地域に役立つことです。それは私が群馬で起業した時に、地域の人たちに大変お世話になった経験が大きい。経営が苦しいときに、新たにお客さんを連れてきてくれたり、いい情報を持ってきてくれたり。だからきちんと社会の役に立つ会社でありたいのですよ」 そして、夢を語った。「現在は世界中でタコが取れなくなり、価格が高騰しています。だから水産資源の豊富な石巻でタコの養殖を成功させ、加工場も作って、石巻のたこ焼きを世界に広げたい」 ■ 取材後「ホット横丁」に向かうと、一人の女性が声をかけてきた。「ここがあるから、毎日生きていられるんですよ」と。聞けば女性は70歳代で、娘と孫を津波で失ったという。この横丁は温かい食べ物だけでなく、孤独を癒やす場にもなっているようだ。 できたてあつあつのたこ焼きをいただいた。東京で食べるたこ焼きとは、どこか違う味のような気がした。 |
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